源ヶ橋の由来・柏原船と平野川

今の源ケ橋あたり
生野本通商店街の入口(上)
源ケ橋温泉(下)
「源ケ橋」の由来,知ってますか?(生野の民話より)

現在では、昔の猫間川は、下水管にして地下に埋めて道路となり、
「源ケ橋」の姿はありませんが、生野本通商店街の入口にあたり、
源ケ橋交差点の付近です。
ここには、千年以前の昔から「猫間川」がありました。
南から流れてきた水が、北の旧淀川に合流していてのです。
さて、このあたりに、古い伝説があります。

200年も昔、江戸は、文化と言われる頃のことです。
「猫間川」の渡し守をしている「源」という悪党がいました。
通行人から暴力で金品をまきあげきあげて生活をしていたのです。
或る日、例のように、一人の旅人からみぐるみ剥いで殺してしまいました。
ところが、この人が、長年行方を捜していた、我が子だったのです。
さすがの悪党の「源」も深く悲しんで悔やみました。
思い悩んだ末、ついに罪滅ぼしをしようと決意します。
自分の身代をすべてなげうち、「猫間川」に橋を架けることにしたのです。
この橋は、すごい橋でした。それは香木に使われる「伽羅」で出来ていたのです。
この香り高い伽羅香木の橋は、源さんの悔いを表して、あまりあるものでした。
人々は、善人になった「源さん」に因んで、「源ケ橋」と名づけて呼んだのでした。

近くに、「源ケ橋温泉」というお風呂屋さんがあります、ここの入口に、
橋の親柱と同じ石碑をたてて、「源ケ橋温泉」の看板にしています。
昔を残す記念碑となっています。
番台で自分の誕生花を教えてくれます。生年月日を言ってみてください。
定休日:月曜日
営業時間:午後3時〜午前1時

「柏原船」と平野川

江戸時代、寛永の頃には、平野川を利用した水運が盛んに行われていました。
付け替え前の旧平野川のことで、大坂・柏原間を荷物を積んで行き交っていました。
船は、約12〜15石、船頭さんは2人、
積み荷は、米や干鰯(ほしか)などの肥料などの文物。
知っての通り、大和川が付け替えられてからは、衰退して、
明治40年頃に歴史をとじています。

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