生野のむかし


生野区の花「紫陽花(あじさい)」
小さな花びらが寄り集まって一つの大輪を形作っている「紫陽花」は、
心のふれあいと連帯を表していると思われます。
華やかに、そしてたくましく咲き誇る紫陽花は、私たちに、生きる勇気と
やすらぎを与えてくれる事でしょう。

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生野区の誕生を知ってますか?
昭和になると、区画整理や河川改修など進められました。昭和7年(1932)3月
JR大坂環状線(城東線)の高架化、昭和8年2月に電化されました。
こうして、昭和18年(1943)4月に、東成区から分区して「生野区」が
誕生しました。
区名の起こりは、生野の名称由来が多く、生野中学、生野高等女学校、生野工業高校、
などの名前で知られた施設が多かったことから、「生野区」となったのです。
生野小学校の記章生野小学校の記章
明治10年6月生野で初めての「小区六番」小学校ができた。
児童数男68名女63名計131名(学級数2組)
人口1、071名、217戸
明治20年5月生野尋常小学校となる。
明治30年4月東成郡から、大阪市に編入
明治40年10月大阪府天王寺師範学校付属第二部
明治44年4月生野尋常高等小学校、高等科二年が増設。
大正元年4月児童数729名、(学級数18組)
人口2、719人、617戸
昭和51年11月生野小学校創立100周年祭が行われる。

大正8年8月の寺田町駅
明治28年5月28日城東線、天王寺〜玉造駅間が開通
当時は、客車と貨物の汽車が走っていた。
明治28年10月17日延長線、玉造〜大阪駅が開通

当時、桃谷駅は、「桃山駅」と呼ばれていたが、
京都の伏見桃山と混同されるので、駅名を今の「桃谷」とした。

昭和39年3月22日、名称が環状線となり全線が開通、現在に至る。


資料提供は、次の通りです。
寺田真基著
大阪府東成郡、「生野村字林寺」昔なつかしき郷土誌
昭和60年8月1日発行
大阪市生野区生野東4丁目6ー24
TEL(06)731ー0107
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